世界初の追及権が生まれたのはフランスです。
そうすると、フランスで法律ができた1920年が追及権の歴史の始まりということもできます。

では、なぜこのような権利ができたのでしょうか。

追及権の歴史を辿るとき、いつも登場するのはミレーです。
Jean-François Millet(ジャン・フランソワ・ミレー)の作品に『L’Angélus(晩鐘)』があります。
彼がこの作品を販売したときには、1,000フラン以下の値段しかつきませんでした。
当時、その月に出来上がった作品すべてを一括して1,000フランで販売していたため、現代ではオルセー美術館にある、あの「値段のつけようが無いほど貴重な」絵画も、1,000フラン以下という値段しかついていなかったのです。

その後『晩鐘』販売価格は、30,000フラン、35,000フランと徐々に上がっていきますが、1875年を境に桁が変わります。
この年ミレーはその生涯を閉じ、今後新たなミレー作品が登場することはないことから、皮肉にも、『晩鐘』の価値は鰻登りに上昇します。
そして、最終的に800,000フランで売却されて、その買い主のところにとどまり、その没後美術館に寄贈されるという道を辿ります。

当初の1,000フラン以下から、800,000フラン、すなわち、800倍になったのです。
しかし、ミレー家の手元には当初の1,000フラン以外一切入っていません。
この付加的な799,000フラン相当額はどこから発生してどこに消えたのでしょうか。
作品の評価から発生して、作品の売買を行う人のところに行ったと言い換えることができます。

これが、小説家であれば、その小説が売れれば売れるほど、本の発行部数が増えるわけですから、いわゆる「印税」が手元に入ります。
しかし、画家や彫刻家といった美術の著作者には、作品を販売してその対価を得るという方法しかありません。

そこで、このような不公平を是正する法制度として登場したのが追及権という考え方なのです。

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